IDバスケット(ID=Intellectual Disability=知的障害を持つ人)は2000年シドニーパラリンピックで正式種目になった知的障害者のバスケットボールだ。今回のシドニーでは惜しくも8位という成績だったが、IDバスケの歴史が短い日本にとって、今後が期待できる有意義な大会だったと言えるだろう。ナショナルチームのヘッドコーチを務めている小川直樹氏は'99年3月から日本知的障害者連盟の渉外担当として、日本協会や県協会とのパイプ役として大忙しの毎日を送っている。シドニーで知的障害者とスポーツとの関係が大きくクローズアップされている今、IDバスケの名前は知っていても、規定やルールなどの具体的なことは意外と知られていない。小川氏は「日本でIDバスケに興味を持つ人が増えれば、競技人口も増えて、組織的にバスケができるようになる」と話す。選手も競技も未知数の可能性を秘めたIDバスケの展望について話を聞いてみた。
聞き手:石橋亞由子(ライター)
■IDバスケの歴史
 今回初めてシドニーパラリンピックで正式種目になったIDバスケットですが、世界的に見ると長い歴史があります。特に力を入れているのはヨーロッパで、オーストラリアではIDバスケの選手が機関誌の表紙に出たり、IDバスケ人口も大変多く、認知度も高いのです。しかし日本はというと、全国レベルの大会が始めて開催されたのは'95年、「日本知的障害者バスケットボール連盟」が設立されたのが'99年5月ですから、まだまだこれからだと言えるでしょう。
■IDバスケのルール
 コートの広さ、ゴールの高さ、ルール、前後半の時間などすべて普通のバスケットのルールと同じです。
■選手のIDバスケ参加規定
 世界各国で共通ですが、IQ70〜79の範囲であることを証明した書類に精神科医がサインすれば誰でも登録できます。しかし身体障害とちがって、知的障害は外見からまったく判断ができませんから、規定そのものに非常にあいまいな点があるのも事実です。私はIDバスケが競技として定着するためにはしっかりした骨組みを作らなくてはいけないと思っています。それが今後のIDバスケットの課題の一つだと思います。
■ナショナルチームのヘッドコーチになったきっかけ
 現理事でシドニーオリンピックの総監督を務めた山下氏から声がかかって'98年の第3回FIDジャパンチャンピオンシップを観戦に行ったのですが、こんなバスケットもあるのかとすごい衝撃を受けました。たとえばある選手がシュートを決めると、喜びのあまり雄叫びをあげて、ディフェンスに戻ることを忘れてしまうんです。チームの監督に「はやく戻りなさい!」と大声で言われてハッと気づいてディフェンスに戻る・・・。そんな試合展開だったので、僕にとっては驚きの連続でした。大会終了後に選手たちと話をしてみると、バスケットができることという嬉しさとか満足感に浸ったすばらしい表情は忘れられません。僕もずっとプレイヤーとしてバスケットをしていて、“勝ち負け”ばかりを意識する世界にいたので、このIDバスケでまた一つの楽しみ、そして「バスケットの原点」を教えてもらいました。'99年10月にブラジルでの世界大会の選考があるとのことだったので、実業団を退社してナショナルチームのヘッドコーチとして専念することにしました。
■ナショナルチームの選考方法
 日本全国にはリクリエーションやリハビリの目的で多くのIDバスケットのチームがあります。「障害者スポーツ大会」という全国レベルの大会へスタッフを派遣したり、関係者からの情報、FIDジャパン・チャンピオンシップなどで大きい大会での視察で優れた選手を捜し出します。今回のシドニーは17歳〜26歳までの幅広い年齢層で編成して、24歳の栗原を中心に「シドニーで勝てるチーム」を目標に強化しました。
■シドニーへの出場権獲得
 '99年10月に横浜で行われた「アジア・南太平洋バスケットボール選手権大会」にてシドニー出場権を獲得しました。参加国は日本、オーストラリア、ニュージーランドの3ヶ国のみ。組合せ上の問題で開催地の神奈川県代表チームを交えて4チームで選手権大会を行ないました。重度の知的障害を抱える選手中心のニュージーランドには100点以上で圧勝、優勝したオーストラリアには60点差をつけられて負けましたが、オーストラリアはホスト国なので、第2位だった日本がシドニーに出場することができたのです。
■シドニーへ向けての練習と合宿
 アジア・南太平洋選手権大会後に、一度ナショナルチームを解散して、新たに29名を選考、全部で8回の強化合宿を行いました。私も最初はどのように選手たちに接して良いのかわからなかったので、最初の合宿ではウォーミングアップとストレッチを担当するアシスタントコーチとしてあえて裏方にまわりました。その後からはヘッドコーチとして合宿を行いましたが、選手たちとの合宿や練習から学んだことは、選手の接し方、技術的なことなど、どれをとっても、知的障害者も健常者も何一つちがいはないということです。ちょっとしたアドバイスすることによって着実に技術が身に付くし、選手の意識も良い方向に変わっていきます。ただひとつだけちがうことがあるならば、選手が頭と身体を使って習慣的にバスケを覚えるのに時間がかかるということだけです。

 練習に関しては自分でもかなり厳しく指導してきたと思います。選手に大声でどなることもありますし、時には手を出すこともあります。世界から選ばれた国としてシドニーでパラリンピックに出場するという自覚を、選手自身に持って欲しいからです。私は選手にきちんと目を見て話を聞け!とかあいさつをきちんとしろ!という基本的なところから教えます。時には「厳しすぎる」と言われることもありますが、精神的にタフになってもらうことが選手にとって一番大切だと思っているので、健常者と同じように指導しました。

 シドニー開催までのナショナルチーム全体としての強化練習は、毎月1回週末に選手を召集して行ったのですが、日数は29日しかありませんでした。月1回の練習の後に選手が自主的にボールに触っていないと技術のレベルが最初のほうに戻ってしまうので、本当に時間が少なかったと正直に思います。オーストラリアのナショナルチームは今回のパラリンピック出場のために10年も前から練習を積んできたわけですから、日本は本当に押せ押せの状態でシドニーに出場したという感じです。
■選手のこれから
 シドニー参加前と後で一番大きく変わったことは選手の意識です。ナショナルチームは解散したので全員の意見はわからないのですが、私と共同生活をしている2人の選手たちは「外国の選手に勝てなくてくやしい」「自分はもっとできるはずだ」というような前向きな意識が出てきました。私にどうしたらうまくなれるか相談することも多いですし、トレーニングも真剣に取り組むようになりました。これは選手たちにとってすばらしい進歩だと思っています。私が選手にあいさつや態度などの基礎的なことから厳しく指導するのは、知的障害者だからとか健常者だから・・・と区別することなくそれが普通のことだからです。私はバスケットを通して、そして練習の厳しさを通して選手たちに「人としての自立」を教えていきたいと思っています。そして、選手やIDバスケットという競技が今後大きく大きく育っていくことを願っています。
■IDバスケットのこれから
 今回のシドニーでIDバスケットの存在があることを知った人がほとんどだと思います。まだスポンサーがついていないので、今回のシドニーのためのユニフォームや合宿費などの資金面で、メーカーや企業に私が直接行ってお願いしました。幸い様々な方のご協力でパラリンピックに出場することができましたが、選手の育成やアテネに向けてこれからも多くの企業や団体の方たちに応援をしていただきたいと思っています。

 そしてぜひみなさんにもっとIDバスケットを知って欲しいと思っています。今回のシドニーのおかげで日本での認知度もかなりあがったとは思いますが、これを機会にもっとIDバスケに興味を持って欲しいと思っています。そして競技人口が増え、IDバスケが日本に定着して多くの大会が開催できればと思っています。今回のシドニー・パラリンピックがIDバスケにとってスタートラインです。まだまだ組織的にも選手も未熟ですが、がんばりたいと思っています。ぜひ応援をよろしくお願いします。


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